青木麻衣さん (現在、日本の商社勤務)
5教科修了した麻衣さんは、デュッセルドルフのゲレス・ギムナジウムを卒業した後、デュッセルドルフハインリッヒ・ハイネ大学に進学、卒業後、日本で就職して、ただいま社会人3年目です。
ドイツに「里帰り」中の麻衣さんに、いろいろお話を聞きました。インタヴューをどうぞ!
>麻衣さんは、ドイツの大学を出た後、日本に帰国しましたよね。これはどうして?ドイツで就職するという選択肢もあったでしょう?
麻衣 長年日本での生活に憧れていて、大学卒業後が良い区切りだと思いました。
>それで就活したわけね。どうでしたか。何かむずかしいことがありましたか。
麻衣 履歴書の段階ではねられることがかなり辛かったですね。単純に履歴書だけ見るとどうしてもドイツ人にしか思われないですし。今の会社は逆にドイツ生活20年という履歴に興味を持ってくれて、テストケースとして採用してもらえたので運がよかったと思います。
>それで、日本に帰って、どうでしたか。違和感があったり、逆に思ったとおりだったとか。
麻衣 ドイツの生活が長いと日本での生活にうまく馴染めず、病気になるという話も聞きますが、私は一人で新しい環境に飛び込むのが苦にならない性格なので、あまり先入観を持たずに帰国し、常に臨機応変に考え、動くことを心掛けていました。
>それはよかった。でも、文化ギャップを感じないというのはびっくりです。
麻衣 全くギャップがなかったといえば嘘になりますが、日本に帰ってから入社するまで1ヶ月しか時間がなかったので、まずは生活に慣れる為に日々新しいことを発見して吸収することを楽しんでいました。
>今年は、社会人3年目ですが、その間に変化はありませんでしたか。
麻衣 様々な変化がありましたが、社会人として成長できたことを一番誇りに思います。 新入社員を教育する立場になるとやはり責任感も強くなりますよね。
>それはスゴイ! では、日本の会社の習慣で、ドイツの目から見て、これはいい、これは悪いとかありますか。
麻衣 ドイツは個人プレーが重視される国なので、自分の仕事のみ淡々とこなすイメージがありますが、日本はチームで仕事をするという感覚がとても好きですね。何か問題が起きれば一人の力ではなく、皆の力を合わせて解決する。もちろん自分に与えられた仕事は一人で処理することが基本ですが、イレギュラーな事態などに直面すると個人よりチーム内での助け合いが潤滑油になります。
逆に未だに難しいと感じるのは日本の謝る文化。ドイツだけではなく、海外では自分に非があっても、それを認めず、のらりくらりとかわしながら責任転嫁することが多いですよね。私も社会人になりたての頃は最初に謝ることがあまりできず、怒られることが多々ありました。しかし郷に入れば郷に従え、というように、日本の中で生活するにはこのような風習に慣れ、身につけることが大事だと思えるようになりました。よく帰国子女は生意気で適応能力がないと思われがちですが、このような些細なことに敏感に反応し、対応していくことが教科書には書かれていない、日本で生活していく上で必要とされる能力ではないでしょうか。
>さて、これからは、公文と今している仕事との関連について、質問します。「やっててよかった公文式」と思えることがありますか。あるとしたら、どんなことですか。
麻衣 時間の使い方と処理能力はやはり長年公文をやっていたおかげですね。例えば公文のプリントは5枚をこの時間内でやろう、と目標を立ててやります。これは仕事にも適応できることで、この案件は何時までに仕上げよう、と目標を定めて取り掛かるので、短時間で集中してこなすことができますし、ミスもほぼありません。
これは簡単なようで、なかなかできる人が少ないんですよ。
>もちろん、今、さまざまな語学が堪能であるとか、日本語がまったく普通に出来るということは、言わずとしても、まあ、公文のお蔭だとは思うけれど。
麻衣 社内外問わず、私と話していると私が20年以上ドイツに住んでいた人ということを忘れそうになる、とよく言われます。
私は補習校に通っていなかったので自分と同年代の日本人と関わる場所がほぼ公文しかありませんでした。教室で様々な交流ができたことも良い経験でしたし、通っていなければここまで読書好きになっていなかったと思いますね。
>すばらしいロールモデルですね。今日は、興味深いお話、本当にどうもありがとう!
聞き手 フックス真理子